The history of

KYOTO NHK ESS

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A PERSONAL HISTORY OF KYOTO NHK ESS BY HORI(2)


 

親睦か英語か。サークル運営を真剣に考えられた方なら頭を痛められる問題だと思います。私はどちらかといえば英語派でしたが、吉田氏の方法は私にも厳しかったです。essから足が遠のきました。なんせその場で時事英語を聞いて話をするのですから。

 6月突然吉田氏がリーダーを降りると言われました。人数が減ったからです。また親睦派(?)の方がリーダーになりました。女子学生も増えました。そんなに簡単に増えるかって。増えるんですこれが。なぜならその当時のNHKテキストのESSコーナーでは、リーダーチェンジのたびにNHKに連絡すれば誌面に掲載されたのです。>こんな活動をしてますという広告をあの英会話テキストに堂々と無料で。

 しかしNHK側はこの傾向を良く思っていなかったようです。電話番号のミスなど苦情も出ていたのです。東後先生(?)はそこであっさりとこのコーナーを廃止しました。ESSは困りました。人数が減ればリーダーを代えて掲載してもらえれば永久に人数減は問題でないと言う神話は崩れました。

 そこでそれから柔らかめのコーナーも出てきました。ソーシャルダンスの練習とかforeign immitation tripという英語旅行などもありました。
ただ当時はどれだけ緩やかになっても、8時までは英語を話すという不文律はありました。ワニ浜のユースホステルを合宿地に愛用し始めたのもこのころです。

 しかし個人的にはいろいろあり、私はしばらくサークルを離れました。英語から離れたことをめざすサークルになりつつあったことが一つ、そしてなれあいの集団ができつつあったことも一つ。(リーダーが特定の女性を家に車で送っていくというのはちょっとですよね。)あこれ以上書きにくい。。。

 秋。やや硬派のリーダーが生まれました。当時はリーダー改選は10月にしてました。学生が多い関係もあってこの時期に就職活動をするからです。そうリーダーの平均年齢は22才なのです。そして企業面接でこれこれのサークルのリーダーをしていたというと受けが良いということでした。実際サークル内就職(有名企業)というのに近いこともありました。

 しかし時代は繰り返します。硬派リーダーの宿命。それは人数が減ることです。それも若くてかわいくて英語が苦手なお女の子というのが真っ先にやめていきます。なん土曜日の夜、この時間帯にずっと暇のある若者とは? 考えるとこわいですね。女の子に人気のない男の集団? あ、自分も入ってしまう。しかし今度の悲劇はかつてより悲惨でした。3月、かのリーダーがお寺に来たのですが誰も来ませんでした。1人だけのサークル。そしてさらにこわいことにサークルの会計が600円あまりに。もう風前の灯火です。

 

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