NEWSLETTER 特大号
葉月 AUGUST 2000

T.Noguchi


<Practice Report>

7月1日   藤田さん   リスニングしながら旅行プランを作成していく
7月8日       すごろくspeech
7月15日   佐藤さん   v「風」を英訳して合唱
7月22日   中尾さん   Discussion 「Convenience Stores」
7月29日       SUMMER PARTY

<New Comers>

7月15日   堀川 和嗣さん

 以上の方が新しく参加して下さいました。

<Information>

 *SUMMER PARTYについて

7月29日(土)に毎年恒例のパーティをひらきました。1次会19名、2次会17名参加。特に新しいメンバーが、たくさん増えて とてもとても盛り上がりました。私が驚いたのは、皆さん歌が上手いこと。中には英語より歌の才能のある人もc

♪大ーきな のっぽの ふるどけい〜♪

 *後半のPracticeのコピー代の上限を一人1,000円と決めさせていただいています。

<一筆啓上−反ESS的な、あまりにESS的な>

 ご存知のように、私はコンピューターを持っていません。当然ESSでは少数派です。しかしそのことによって、損したり、傷ついたり、不幸になったりしたことはありません。ただ、Eメールが利用できなかったり、周囲の話題についていけなかったりするだけです。さらにもし、将来コンピューターがなければ、生きていけない世の中になれば、その時は買うでしょう。

 ご存知のように、私は新聞をほとんど読みません。(日経の夕刊を一分ぐらいたまに見るぐらい)当然 ESSでは少数派です。 。しかしそのことによって、不利益を被ったり、絶望したり、「もう明日から生きていけない」と感じたりしたことはありません。ただ、どんなテレビをやっているかわからなかったり、周囲の話題についていけなかったりするだけです。さらにもし、将来新聞が生活必需品になれば、その時は毎日読むでしょう。

 ご存知のように、私は今まで一度も海外へ行ったことがありません。当然ESSでは少数派です。いや、ただ一人かも。しかしそのことによって、劣等感を感じたり、自己嫌悪に陥ったり、「自分も負けないように」と見栄と意地をはったりしたこともありません。ただ、オルセーの名画を見たことがなかったり(これはちょっと痛い)、周囲の話題についていけなかったりするだけです。さらにもし、将来必要が生じれば海外へ行くでしょう。

 しかし、考えてみよう。コンピューターが各家庭にここまで普及したのは、せいぜいここ十年ほど。今のような新聞が登場したのは、明治時代の「横浜毎日新聞」以降。これだけ大挙して海外に行くようになったのも、戦後になってから。

 江戸時代の人達は、コンピュータはもちろん、新聞もなければテレビもない、いや、ビデオデッキも映画館も無い。鎖国だっため海外に行く人もほとんどいない。それどころか多くの人は、自分の生まれた町や土地から生涯一歩も外に出ることもなく、その中で充足した、かつ豊穣な人生を送っていた。彼らは「僕達は情報がない、不幸だ」とか、「娯楽のない人生なんて」とか「海外へ行ったことがない人は貧しい人生だ」などとは考えてはいなかった。彼らは限られた時代の中で、如何に楽しく幸福に生きるか、という方向に知恵を使ったのだ。そんな時代が270年も続いたのだ。

 情報がひとを幸せにするとは限らない。「見聞を広める」海外旅行が見聞を広めているとは限らない。(実際江戸時代の人の「見聞」はすごかった。)私は、たとえどれだけ周囲の話題についていけなくても、長い長い人類の歴史の中で培われ、涵養されてきた生活態度を想起すれば、常に心は穏やかなままでいられる、と信じる。丁度深い深い森の中の誰も今まで足を踏み入れたことが無いようなところにある、清澄な湖のように、風が吹いても、雨が降っても、嵐が来ても、次の日には元の凛とした静謐さを取り戻せる、と信じる。少し歴史へ想像力を働かせてみれば、コンピューターも持たず、新聞も読まない、海外経験も無い、何百万、何千万、それ以上の人々の、知恵と幸福感が見えてくる。ESS諸君、「小数派」は貴方たちなのだ!